先日、ついに第1子となる女の子を出産しました。
自分の思い出・備忘録のためにも出産に至るまでのレポを書いてみました。
痛みや衝撃で記憶が曖昧な部分があるので、時間は正確ではないところもあります。
拙い文章で申し訳ないですがよかったら見てください。
1. 前提(私のざっくりした紹介)
・30代前半
・身長160cmオーバー(普通体型)
・初産(妊娠初期の流産自然排出経験あり)
・痛みに激弱なので無痛分娩希望(計画出産日は決まっていたがそれより早く生まれた)
・妊娠がわかってからは仕事はフルリモ
→元々インドア派なこともあり臨月に入るまで平日1日の歩数100歩とかの日が平気であった
2. 出産日前々日
夕方ごろ
おりものの匂いが普段と明らかに違うことに気付く。酸っぱく感じる。
高位破水を疑うが、水っぽさはなかったので放置した。
その後湯船に浸かって就寝(本当は絶対にダメ)
3. 出産日前日
おりものの匂いは特に普段と変わらない。
昨日の酸っぱい匂いは杞憂だったかなと安心する。
しかし、夜に子宮の上の方でパチン、パチン、と弾ける音(感覚?)がする。
腸のガスっぽいと思いつつも、昨日のおりものの匂いのこともあるので、高位破水の疑いがいよいよ出てきて不安になる。
とりあえず病院に電話をする。
入院準備をして病院にすぐに来るように指示がある。電話では入院かどうかは五分五分と言われる。
20:55 病院到着
夫に病院についてきてもらう。
21:00 NST開始
ちょうど別の人のお産があっていたようで、分娩室の隣の部屋で一人放置される。
寒いしガランとしているし、とにかく不安になる。
しばらくすると隣で生まれたばかりの新生児の産声が聞こえる。泣けてくる。
お産の対応が終わったのか、こちらの部屋に看護師や医者がちょろちょろ出入りするようになる。
21:50 高位破水確定診断、入院決定、内診
医者登場。破水検査をして、破水していることが判明。かなりわかりづらかったらしく、何度か検査用綿棒を突っ込まれた。
今夜から管理入院するように告げられ、予想外すぎて絶望する。
この時の内診で子宮口1cmであることがわかり、「まあいつ陣痛が来てもおかしくないから」と言われ、なだめ?られる。
GBSや抗生物質の点滴投与開始、待合部屋に移動する。
放心状態、何が何だかという感じでとにかく泣けてくる。
22:30 夫帰宅
私が不安がっていることは夫に伝わっていたため、「一晩妻の付き添いのため、自分も病院に泊まれないか?」と夫から病院側へお願いをしてくれた。
しかし病院は、「お産は体力勝負。今は妊婦さん一人で身体を休ませてあげて」ということで断られた模様。
ということで泣く泣く夫は帰宅。
23:00 ベッドで横になる
とにかく眠れない。いきなりの展開に泣けてくる。
最後の胎動カウントチャンスだと思いながら胎動カウントをし、また号泣する。
あと、とにかく以下のことをぐるぐる考えまくってはチャットGPTに質問していた。
・本当に高位破水だったのか?
・疑わしい場合はすべて高位破水として入院させるのではないか?
・もう少しお腹にいさせたほうが良かったのでは?
・病院に緊急で来なければもう少し後で産めたのでは?
・でも本当に破水していて赤ちゃんが感染でもしたらそれこそ最悪の事態だった
・いずれにしても病院に来ることがベストだったのか?
・やっぱり家に帰ります、当初の計画入院の日にまた来ますと言って帰ってもいいか?
今考えると意味ないのに精神安定のためにとにかく気持ちを整理したかったんだと思う。
4. 出産日当日
00:00-01:30 眠ったような眠っていないような感覚
01:30-02:30 点滴交換で何度か起こされる
02:30-04:40 何とか眠れる
お産は体力勝負と散々言われたのでとにかく眠らなきゃと思った。
でも眠らなきゃいけないと思えば思うほど焦って眠れなくなった。
04:40-05:00 歯磨き、スキンケア
05:00 NST、血圧、体温測定、促進剤の投薬開始
飲むタイプの促進剤(プロスタグランジン)投薬開始
何となくお腹が張ってきた。胎動なのか張りなのかまだわからないレベル
6:00 2回目投薬
夫と電話する。夫は眠れなかったらしい
7:00 3回目投薬
この辺りからひどい生理痛ぐらいの痛みがくる
8:00 4回目投薬、朝食
会社を休むレベルの生理痛のような痛みがくる。NSTの外測陣痛70ぐらい。
食欲ないけど意地で朝ごはんを食べる。7割ぐらい食べた。
けれど何となく吐き気がする、気持ち悪い。
無理やり陣痛を起こしているので、赤ちゃんにとってよくないんじゃないかとか、やっぱりまだ赤ちゃんはお腹から出たくなかったんじゃないかとか、うじうじ悩む。
悩むことが出来るぐらいこの時は痛みに余裕があったと思う。
9:00 内診、5回目投薬
内診の結果、子宮口2cmまで開いているといわれる。
なんとなく順調そうでほっとする。
しかし内診ぐりぐりが痛くて泣きそうになる。
夫が病院に到着する。
10:30 6回目投薬
腰が重くて痛い。けれどまだ余裕があるので夫と喋りまくる。
陣痛の感覚は3-4分になっている。
12:00 内診、昼食
内診で相変わらず子宮口2cmと言われ絶望する。
そしてまた内診ぐりぐりをされて痛くて泣きそうになる。
点滴の促進剤(オキシトシン)を開始するように言われる。
30分おきに促進剤を増量するそう。
ここから腰だけでなくお腹の前側も痛くなり、生理痛をはるかに超える痛みになる。
お昼ご飯が出てきたのでほぼ完食する。
15:00 おしるし、おやつ、昼寝
トイレに行くとドロッとしたおしるしが出てきた。
おやつが出てきたのでほぼ完食する。
あまり強い陣痛もこず、お産が夜中か明日になりそうだったので夫には一時帰宅してもらう。
→のちに、この判断が間違いだったことがわかる
夫が帰った後、うとうとしてきたので昼寝をする。
16:00
目が覚める。
気付いたら促進剤流量が108あたりになっており、激痛を感じる。
痛すぎてもう無理だと思い始めるが、のちに本陣痛はこんなものではないことを知る。
余談
この流量108あたりが、流産で自然排出した時と同じぐらいの子宮や腰の痛みだった。
あの時のことを思い出して、あれは小さなお産だったなと改めて思う。
16:30
助産師がやってきて、さらに流量を120に上げられ、文字通り悶え苦しむ。
これが流量マックス値だということも聞かされる。
とにかく吐き気がやばくなる。何回も吐きそうになるが吐けない。ガンガンに寒い部屋のはずなのに汗が止まらない。
陣痛がきた時、お腹の真ん中あたりで「ぶちんっ」という音?感覚?を感じ、完全破水したと実感する。
「顔がゆがむぐらい痛い」と助産師に泣き叫ぶが、軽くあしらわれ部屋に1人にされる。
16:50 ヘルプ
17:00過ぎに麻酔を入れるか決めるための内診があるから呼びに来ると言われていたが、キツすぎて待てないのでナースコール
17:00 分娩室へ移動
医者の準備がまだ出来ていないと言われるが無理矢理分娩室に連れて行ってもらう。
この時2分間隔で陣痛がきているので分娩室への移動中も廊下で悶え苦しむ。
この時ぐらいまでは、陣痛が来ても深呼吸をして痛みを逃すことが出来ていたと思う。
17:10 内診
やっと医者登場。ヒーローに見える。
しかし内診で子宮口3cmと言われる。4-5cm開かないと麻酔は入れられないと言われ絶望する。
「その1cmがそんなに大事か?」とキレそうになるが、まだキレない。ここまでは理性があった。
「破水は間違いなくしてるんだけどね~あともう少し」と医者に言われる。
それでも麻酔を入れてくれと泣きながらしつこく医者に懇願するが、医者はどこかへ行ってしまう。
絶望である。
無慈悲なことに、絶望しても次の陣痛の波はやってくる。精神的ショックも重なり、陣痛のしんどさもあってここら辺から泣き叫びわめき散らかす。深呼吸なんてやってられない。
息を吐くことに集中しろと言われたけど「痛い!早く麻酔を入れて!」と陣痛の度に叫び続ける。
助産師から「旦那さん呼んでいいよ〜」と言われるが、余裕がないので呼べない。
次の陣痛の波が来るのが怖くなり「陣痛が怖い」と助産師に泣き叫ぶが、軽くあしらわれ分娩室に1人にされる。
1人の状況に耐えきれず陣痛の波が3回きたぐらいですぐにナースコールをする。
若い助産師が背中をずっとさすって応援してくれた。
そしてその若い助産師に医者を早く呼ぶようにめちゃくちゃ泣きながら訴えた。
→もちろん呼んでもらえない
ちなみにこの時、痛みに耐えきれずひっそりといきんでしまっていた(おむつの中に💩してしまったような感覚。実際にしたかはわからない)
17:50 内診
あまりにも私がしつこく泣き叫ぶので医者が内診をすると、なんと子宮口全開になっていた(そりゃ痛いはずだわ)
しかも医者が「赤ちゃんだいぶ下に降りてきてる!」と助産師に伝えているのが聞こえる。
18:10 急いで麻酔処置開始
麻酔を計2回打ってもらう。
麻酔を刺すときの痛みはほぼなし。というか陣痛がキツすぎて麻酔の針を刺した時は蚊に刺されたレベルだと思った。
麻酔は2分以内には効いてきたと思う。
とにかく泣きながら麻酔が効くのを感じる(人生で最も長い2分だった)
余談
実は私が打った麻酔の種類は、無痛分娩で当初予定していた硬膜外麻酔から脊椎麻酔へ切り替わっていた。
出産後、私の後処置中に家族には説明があったらしい。
私が聞いたのは出産した次の日の朝。「急遽麻酔の種類が変わったので同意書を書いてください」と言われ、用紙を見たら費用や種類、お産が急に進んだ場合の話が書いてあり、そこで初めて知った。
硬膜外麻酔だと効果が出るのに時間がかかるということだったので、お産の進行が急速で早急に麻酔効果が必要な場合に行われる脊椎麻酔が選ばれた模様。
多分すごく稀なケース。
どうりで皆のレポで見るよりも麻酔の効きが早かったわけだと合点がいった。
ちなみに脊椎麻酔のほうが安価で、うちの病院だと硬膜外10万円に対し脊椎3.5万円だった。
詳しい説明はこちらの産院のHPに記載があります。
麻酔の効き目をじわじわ感じながら、「赤ちゃん下に降りてきてて頭がすでに見えているよ」と言われ、ついに会えるのかと不思議な気分になる。
助産師や看護師などたくさん分娩室に集まってきた。
助産師に電話で夫を急いで呼んでもらう。
麻酔がかなり効き始め、手がブルブル震えだす。
保冷材のようなものを足や腰に付けられ、「ここは冷たい?ここは?ここは?」と聞かれまくる。
麻酔が効いているか、かなり入念に確かめてくれた。
麻酔が効いてからは急に頭が冷静になり、以下のことをぺらぺら喋りまくる。
「赤ちゃんは本当に下に降りてきているのか?」
「赤ちゃんは健診で臍の緒が巻き付いてると言われたが大丈夫なのか?」
「叫びまくってごめんなさい」
「麻酔ってすごいっすね!」
コミュ障なのに謎のハイテンションで医者と助産師に話しかけまくる。
聞いても仕方ないことも、とにかくハイで聞きまくる。
18:30 出産の準備、夫の到着
夫の到着を待ってる間に足に汚れ防止のカバーのようなものを被せられる。
「ああ、いよいよ生まれるのか」と他人事のように思う。麻酔が効いているから冷静。
夫が到着して、手をぎゅっと握られ「よく頑張ったね!」と最初に声をかけられた気がする。
18:40 娘誕生
多分4回ほどの陣痛をいきんで、ついに我が子爆誕。
本当に人間が出てきた。出てきてすぐに泣いてくれた。
へその緒が確かに首に巻いていたが、苦しそうではなかった。
胎盤は出産後気づいたら出てきた模様。見せてもらってテンションが上がる。
麻酔の効果により、出産後の処置は何も痛くない。無双モード。
今なら何でもどんとこいという感じで謎に気が大きくなる。
会陰が裂傷で切れていたが人工的に切るよりも短めなので治りは早いと言われる。(一度のみ)
19:50 記念撮影タイム
もう一度夫が分娩室に入ってきて写真撮影タイム。
綺麗にしてもらった赤ちゃんが可愛すぎる。
腕に乗せてもらったが、動きの感じが胎動と全く同じで笑ってしまう。
「本当にあなたが入っていたのね」と感慨深くなる。
陣痛中、ずっと付き添ってくれて我が子を取り出してくれたとある神助産師から「おめでとう、よく頑張ったよ」と褒めてもらえる。
泣きながら「辛い時、手を握ってくれてありがとうございました」と伝えることが出来た。
20:50 食事、入眠
車椅子で部屋に戻る。部屋に届いていた夜ご飯を完食し、割とすぐに爆睡。
ただし翌朝めちゃくちゃ早く目が覚めた。産後ハイである。
5. 後日談
・高位破水してしまうケースの一つとして、感染症がある。私は出産3週間ほど前にカンジダの診断をされており、抵抗力が下がっているのもあってなかなか治らなかった。本当に高位破水だったとしたらこれが原因の一つかなと思う
・出産後、体へのダメージが少なく、会陰の痛みを除けば割と普通に歩ける
→これもかなり稀なケース
・ただし、産む直前に坐骨神経痛?仙腸関節痛?で痛い左側のおしりの後ろは出産後もずっと痛い
→入院中も骨盤ベルトをずっと付けてる
・いろんな助産師に会うたびに「急にお産が進んで麻酔がぎりぎりだったんでしょ?」と言われ、麻酔がぎりぎりの可哀そうな人認定されていた
・経産婦の方でたまにいるそうだが、子宮口が短時間で全開になる人は初産婦ではなかなかいないらしい(かなりのレア体質?)
・実は、出産後の子宮の戻りによる痛みよりも、流産で自然排出した後の方がはるかに痛かった
→あの時は子宮の痛みで歩くのもしんどかったしトイレも辛かった(もちろん精神的な辛さもある)
6. 今思うとやってよかったなと思うこと
・子宮口が開きやすくなるよう、悪阻が終わったころからストレッチを心掛けていた
→特に臨月に入ってからはYoutubeにある子宮口を開かせるストレッチは一通りやったし、1日の中でストレッチに充てる時間はかなり多かったと思う
・臨月に入ってから散歩を30分/日程度していた(腰の痛みが強くなってからは散歩はしていない)
・促進剤を入れている間はトイレによく行った
→トイレに行くたびにNSTを外す作業があったのでナースコールで助産師を呼ばなければならなかったが、遠慮せずに何度もトイレに行った
・入院中、出されたご飯は基本完食したし、寝られそうなときは寝た。体力をつけることとリラックスすることが大事だと前情報で聞いたことがあったので、とにかく徹底した
7. 最後に
とにかく無事に出産できてよかった。
最初に妊娠した子のことがずーっと頭から離れず、生むまで不安な妊娠生活だった。
安定期に入っても正期産に入っても心は安定しなかった。
最初に妊娠した子にも、ありがとうと言いたい。
またいつか、生まれたいなと思ったときは私のお腹を選んでね。
そして今回生まれてきてくれた子も、第一子として私たちのもとに生まれてきてくれてありがとう。
これから一生大切に育てます。
妊娠中、自分が生まれた意味はこの子をこの世に産むためだと強く思っていたが、生まれてきてくれてそれは確信に変わった。
そして、この子を育てるために自分はこれから生きていくと思っている。
あと現実的な話。気が早いけど、もし第二子を出産できるのであれば、計画無痛の日が早まるのかなあと思った。
体質的に子宮口が開きやすいということがわかったので、経産婦となる第二子出産時はさらに早まりそう。
また退院時に医者に聞いてみよう。
それでは、全ての妊活戦士&ママに幸あれ!
お疲れ自分!お疲れ娘!