今回は、流産をきっかけに変わった考え方についてお話しします。
初めての妊娠、そして初めての流産――これは私にとって、人生で最も衝撃的な出来事のひとつでした。
「妊娠すれば、当たり前のように出産できるもの」
以前私は本気でそう思っていましたし、割合的にはそのような方の方が多いのかもしれません。
でも、いざ自分が流産を経験してみると、周りからはあまり聞かなかったとしても、ネット上では同じような経験をした人たちがたくさんいることを知りました。
それを知ってからは、「妊娠できること自体がまず奇跡。そして、無事に出産できることはいくつもの奇跡の上に成り立っていて、本当に感謝すべきこと」だと、強く思うようになりました。
稽留流産と診断されたあと、しばらくは辛い日々が続きました。
でもその間、悲しみに暮れる中でも、人の話を聞いたり、本を読んだり、動画を見たりして、たくさんのことをインプットしました。
そして、それらを自分の中で咀嚼し、夫と話したり、こうして言葉にして発信することでアウトプットもしてきました。
そんな中で、自分なりに「腹落ち」した考え方がいくつかあります。
以下に、それをまとめていきたいと思います。
1. 命に対する考え方
全ての命は奇跡の積み重ねの上に成り立っている
綺麗事とかじゃないです。
本当にそう思います。
まず精子と卵子が巡り合うところから始まり、うまく卵管を通って、うまく着床して、そこから育っていく。
そしていくつもの壁を乗り越えて、さらに出産という大きな壁を乗り越え、ようやく誕生する。
誕生した後も、さまざまな脅威はある中、無事その年まで成長をする。
そう考えると、ほんの少しでも何かが違っていれば、噛み合っていなければ、今そこにその命は存在しないのかもしれません。
命が存在するというのは、決して当たり前じゃないということです。
そして、そこにある命は、親が親の意思で作り出したものです。自分たちで作り出した命、親であれば大切にするほかないと思います。
もちろん、今までも命を軽く見ていたつもりはありません。
でも、これまで以上に、命の重み、命とはどれほど尊いものなのかと、強く感じるようになりました。
2. 夫に対する気持ち
流産を経験する前から、夫のことはとても大切で、本当に心の底から愛していました。
しかし、今回の経験を経てその気持ちが更に強くなりました。
理由は、1でお話しした通り、命の尊さ、儚さを知ったからです。
夫は健康体で特に現時点で心配することは何もないのですが、それでも、命はあっけなく終わってしまうこともあると、気づいてしまったのです。
大げさかもしれませんが、心配性な私はすごく不安になりました。
そして、夫まで失ってしまったらどうしよう、という不安が強くなり、そのことを想像するだけで涙する日もありました。
夫のことがどれだけ大切か、そして夫が同じようにどれだけ自分を大切に思ってくれてるか、ということに改めて気づくことが出来ました。
子供がいてもいなくても、2人で一緒に歩んでいけること。それこそがそもそも幸せで、何より大切な時間なのだと気付きました。
3. 両親に対する気持ち
両親と私の関係性は、昔いろいろあったため、決して良いものだとは言えません。
しかし、事実として、私を大切に育ててくれました。
そして大人になった今、今回のこともありしょっちゅう「元気?」と連絡が来ます。
「鬱陶しいな」「ちょっと放っておいてよ」と思うこともありましたが、自分が少しでも親になった期間を思えば、親が子供を思う気持ちは痛いほどわかります。
両親がどれだけ自分を思ってくれているか、そして、両親が生きてくれているからこそ今会話することが出来る。親の存在もまた当たり前じゃないのだと、そう思いました。
あらためて、自分がどれほど恵まれた環境にいるのかを実感しました。
以前は親の悪いところばかり見てしまっていましたが、命は本当に儚いです。
「親がいつか亡くなるとき、私は胸を張って“後悔はない”と言えるだろうか?」
そう自問するようにもなりました。
奇跡の連続で母親が生まれ私が生まれたのです。その奇跡を大切にしたいと強く思いました。
ここに書いたことは、綺麗事とかではありません。
本当に心の底から感じたことです。
それほどまでに、今回の出来事は私にとって衝撃的でした。
4. さいごに
天使は、たくさんのことを教えてくれました。
本当に感謝してます。
ただ、天使が命をかけて教えなければ自分はこんな大切なことにも気づけなかったのか?と悔しくもあり、涙することも未だにあります。
自分の未熟さを身に染みて痛感した出来事でもありました。
最後に、形あるものはいつか全て壊れます。
だからこそ、後悔のないように生きていきたいですね。
すべての妊活戦士に幸あれ!